不定期連載 reminders, I was there更新開始。- 2000年にwebsiteで連載していたシリーズです。フォトジャーナリストとして歩み始めた頃の写真とともに、何故シャッターを切り、何故今もこの一枚を選ぶのか?を振り返ります。

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コロンビア バランカベルメッハ 1991年


南米コロンビアのバランカベルメッハに行くことにしたのは、偶然ニューヨーク・タイムズ紙の記事を見たのがきっかけだった。「コロンビアで最も危険な街・バランカベルメッハ」という見出しで、この街では、ジャーナリストや人権擁護団体職員が暗殺の対象となり、すでに何人も殺されているという記事だった。

コロンビアでは当時、左翼ゲリラのコロンビア革命軍と国民解放軍、政府軍、そして右派民兵組織MAS(現在は右派民兵組織コロンビア自警連合軍)が入り乱れて争っていた。最も危険な町と呼ばれたバランカベルメッハ市は北部マグダレーナ・メディオ州の主要都市であり、同国最大の油田基地があり、付近の山岳地帯は麻薬原料になるコカの葉栽培にも適していた。
バランカベルメッハには七十年代以降、解放区から大量の難民が流れ込み、以来左翼ゲリラの拠点がスラムに作られ、以来農村地帯で続いていた右派民兵との争いは、八十年代後半から都市で展開されることになる。町で誘拐や虐殺が日常化し、子供も容赦なく殺された。人々はこの闘いを「Guerra Susia(汚い戦争)」と呼んでいた。

首都ボコタに着き、バランカベルメッハ行きの長距離バスに乗る。約15時間バスに乗り、昼過ぎバランカベルメッハのバスターミナルに着いた。「安宿を探している」という僕に、「中国人の食堂がある」と親切なタクシー運転手がそこまで連れて行ってくれた。食堂で中華系二世のエンリケと会い、近くの宿を紹介してもらった。一泊約5ドルほどの三階建ての宿から窓の外を見る。すでに夕方だった。どこからか陽気なサルサが流れていた。
シャワーを浴び、これからどうするべきかと考えていると、突然爆竹のような音が近くで響いた。慌ててカメラを持って外に出ようとすると、宿の従業員が「止めろ」という。何も考えずそれを振りきって外に出た。宿の前のレストランで、三人の男たちが血まみれになっている。人々が、次第に集まってきた。「La Violecia, La violencia」と年老いた女性がつぶやきながら死体を見ていた。バランカベルメッハに着いた、初めての日だった。

写真と文:後藤勝
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