不定期連載 reminders, I was there更新開始。- 2000年にwebsiteで連載していたシリーズです。フォトジャーナリストとして歩み始めた頃の写真とともに、何故シャッターを切り、何故今もこの一枚を選ぶのか?を振り返ります。

写真を撮りながらオンボロバスでニカラグア国内を数ヶ月旅をし、その後内戦が続いていたエルサルバドルに向かった。目指すはFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)の解放区である。首都サンサルバドルの安宿で、ドイツ人とフランス人のフリーカメラマンと出会う。みな僕と同じで、金もなくコネもない。「ホンジュラス国境付近のパルキンにFMLNの最大の拠点がある」というので、そこに行くと言う僕にみな、「今はゲリラ側の許可はでない。それに危険すぎるからやめろ」と言う。しかし写真を撮りたい一心で中南米に来た僕には、諦めることが出来ず、一人でパルキンに向かうことにした。夜明け前、リュックを背負った僕を、人の良い安宿の主人が見送ってくれた。
ニカラグアで革命が成立したのは1979年7月、それを受けてエルサルバドルでも左翼ゲリラ活動が一層活発化した。80年10月には五つの極左ゲリラ組織がファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)を結成し、本格的な内戦に突入する。
サンサルバドルを出て数日後、政府軍の検問を何とか潜り抜け、パルキン付近の町に着く。そこでゲリラ司令官に許可を申し込む。
「無理だ」という司令官を、何日もかけて説得する。自分が高校をやめてその後肉体労働をしてお金を貯めてここに来たこと、そして「自分は写真を撮るために来た。なぜあなた達が闘うのか、それを知りたい」と言った。ある日、やっと、数日間だけ滞在許可をもらった。
昼間はひっそりとしたパルキンの町も、時折真夜中、政府軍の武装ヘリコプターが襲撃に来た。バタバタという気味の悪い音と共に、生まれて初めて鼓膜が破れるほどの銃声を聞く。無差別に打ち込まれた銃弾で、町のほどんどの家々が破壊されていた。
ある朝、周りのジャングルにゲリラ達と向かい、途中、獣道の物陰で見張りの少年兵と出会った。何も言わずに、するどい眼をして僕を見る。少年は、獣のような眼をしていた。
その後92年に政府とゲリラは和平に合意した。しかし10年以上に及ぶ内戦で7万5千人以上が犠牲となっている。
写真と文:後藤勝
reminders, I was there file#2

エルサルバドル パルキン 1990年
写真を撮りながらオンボロバスでニカラグア国内を数ヶ月旅をし、その後内戦が続いていたエルサルバドルに向かった。目指すはFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)の解放区である。首都サンサルバドルの安宿で、ドイツ人とフランス人のフリーカメラマンと出会う。みな僕と同じで、金もなくコネもない。「ホンジュラス国境付近のパルキンにFMLNの最大の拠点がある」というので、そこに行くと言う僕にみな、「今はゲリラ側の許可はでない。それに危険すぎるからやめろ」と言う。しかし写真を撮りたい一心で中南米に来た僕には、諦めることが出来ず、一人でパルキンに向かうことにした。夜明け前、リュックを背負った僕を、人の良い安宿の主人が見送ってくれた。
ニカラグアで革命が成立したのは1979年7月、それを受けてエルサルバドルでも左翼ゲリラ活動が一層活発化した。80年10月には五つの極左ゲリラ組織がファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)を結成し、本格的な内戦に突入する。
サンサルバドルを出て数日後、政府軍の検問を何とか潜り抜け、パルキン付近の町に着く。そこでゲリラ司令官に許可を申し込む。
「無理だ」という司令官を、何日もかけて説得する。自分が高校をやめてその後肉体労働をしてお金を貯めてここに来たこと、そして「自分は写真を撮るために来た。なぜあなた達が闘うのか、それを知りたい」と言った。ある日、やっと、数日間だけ滞在許可をもらった。
昼間はひっそりとしたパルキンの町も、時折真夜中、政府軍の武装ヘリコプターが襲撃に来た。バタバタという気味の悪い音と共に、生まれて初めて鼓膜が破れるほどの銃声を聞く。無差別に打ち込まれた銃弾で、町のほどんどの家々が破壊されていた。
ある朝、周りのジャングルにゲリラ達と向かい、途中、獣道の物陰で見張りの少年兵と出会った。何も言わずに、するどい眼をして僕を見る。少年は、獣のような眼をしていた。
その後92年に政府とゲリラは和平に合意した。しかし10年以上に及ぶ内戦で7万5千人以上が犠牲となっている。
写真と文:後藤勝
reminders, I was there file#2